愛を歌おう

描ける夢はきっと叶う 願い叶える次のステップへ

虎者とTravis Japanの関係性。

先日、「虎者-NINJAPAN-」を京都南座へ見に行ってきました。

 

 

ジャニーズJr.のTrvis Japanが初主演を務める舞台です。

 

 

 

時は近未来、闇の力がすべてを支配し「増悪」や「嫉妬」「欲望」が渦巻く世界。

悪の世に君臨する父の元に生ま「虎者」たちは日々、修行を重ねていた。

生き別れた妹と出会うことを夢見ながら。

ある日、父に呼び出された虎者たちは実の妹との再会をはたす。しかし、最後の修行としてその妹を殺せと命じられてしまう。

「愛」も「絆」も「家族」さえも捨て、最強の力を手に入れろと。

非常な現実を突きつけられた虎者たちは「愛」の力をもって、悪の権化、父と対峙することを決意するのだった。

 

 

 

舞台はセリフは少なく、ダンスやアクロバット、映像などを用いたミュージカル?調のステージです。

 

 

 

ジャニーさんが最後に企画・構成を行った舞台であり、構成・演出をタッキーが行っています。

 

 

 

私はこれまで、ジャニーズの舞台は「Endoless SHOCK」しか見たことがありません。

また、それ以外のジャニーズ作品は「少年たち」の映画しか知りません。

そして、今回は新しい舞台。どんな内容かなるべく感想や解釈を見るのを避けて私個人の感じ方でこの舞台を見たい、と思いました。

そして、見終わったあと。

ある方のブログを思い出しました。

その方は少年たちを見て、この映画の刑務所はジャニーズJr.を表しているのではと書いていました。

 

sixgre.hateblo.jp

 

 

私は、この虎者における「闇に支配された世界」というのもまた、ジャニーズJr.を表しているのではないかと感じたのです。

 

 

 

物語の序盤に彼らが「紅孔雀と碧鷲と呼ばれていた時代」へと話は戻ります。

 

 

 

なぜ、呼ばれていた時代とわざわざつけたのか。

呼ばれた時代を作ったのか。

それは、彼ら「Travis Japan」の歴史になぞらえているのではないかと私は考えます。

9人だったTravis Japanと松松だった時代があるのです。

それが時を経て今のTravis Japan になりました。

だから、紅孔雀には松松がいるのではないでしょうか。

 

 

 

次に闇の世界。

これがジャニーズJr.の世界を表しているのであれば、光の世界はデビューした世界なのではないかと考えます。

「嫉妬」や「欲望」が渦巻く世界。なんとなく芸能界やジャニーズJr.の苦労やくやしさと似ている気がします。

そんな中で彼らの言葉には光がある。警戒しなくてはならないと。

それはすなわち、彼らには光になりうる要素が備わっているから、闇の世界にとっては脅威であると考えられます。

 

 

 

ならば、真の虎者とはなんなのか。

 

「未来はお前たちの前にある」

「お前たちが照らす7つの光はこの闇の全てを消し去るのだ」

「歩みを止めず、己の夢の空へ羽ばたくが良い」

 

 

 

彼らが光になりうる存在であり、真の虎者は前にある。

とするならば。

真の虎者とは彼らがデビューすることを指しているのではないかと考えられます。

各々の個性を大事に歩みを止めずに進めばその夢の道が開けるというTravis Japanそのものへのメッセージであるのではと。

だから、舞台の中では真の虎者になるところまでいかなかったのではないかと。

なぜなら、今、この舞台もまた彼らの夢の空へはばたく途中だから。

ここで光に行ってはいけないのだと。

そんな風に感じました。

 

 

 

そして妹。

彼らが守りたい存在。

消して愛してはならぬ存在。

「家族」や「絆」そういった言葉で表される存在。

彼女はTravis Japanのファンを表しているのではないかと考えられます。

消して結ばれることはなく、だけど深い絆がありお互いに守りたい存在である。

影響を与え合う存在。

殺すことなんてできない。大事な存在。

闇の世界で出てくる唯一の女の子である彼女はもしかしたらそういう象徴だったのかなと思いました。

 

 

 

そして闇の父。

彼らの行手を阻むもの。

大事な妹を殺せという父。

愛や絆などいらないという父。

 

 

 

正直なところ、ジャニーズの中に該当する人がいないのです。

では人ではないとして、Jr.にとってそれってなんなのか。

大事なファンを傷つけ、自分たちをも傷つけるもの。

それってやはり世間の声や認知だったりするのかなあ。と。

その父を殺すのが妹=その声をかき消すのはファンであるというならばこの仮定はなくはないのかもしれない、と思いました。

 

 

 

トランポリンを使って壁を上りてっぺんへと駆け上がるすがたもまた、Travis Japan が大きな壁を上り、てっぺんを取るという表れなのかな、なんて思いました。

 

 

 

 これは私が先ほども上げた少年たちの解釈のブログを読んでいたからこその、解釈ですが。

 

 

 

虎者という物語は

Travis Japanそのものをテーマとして扱っていたのではないかと私は思いました。

松松とTravis Japanが今の形になり、いろんな歴史を抱え、そして兄弟のように暮らし、それぞれの力を合わせてデビューそして、てっぺんを掴み取りに行く、そういう物語だったのではないかと思います。

高い壁を高い能力を使い敵を倒しつつ頂上に上り詰める。

彼らの持つダンスや歌の技術はとても高く、その能力は彼らだけのものです。

その能力を駆使して、デビューをつかみ取る、そういう風に考えられました。

 

 

 

今回この舞台が彼らのために作られた舞台ということを合わせてみても、そういう解釈は的外れではないのかな、と思います。

 

 

 

あゆみを止めず進み続ければ夢の空へ羽ばたく日が来るのだと。

 

 

 

Travis Japanが前に進む限りいつかその夢見た世界がやってくるのだと。

そうジャニーさんたちが込めてくれたのではないか、と私は思っています。

 

 

 

今回。私は1度しか見れていないので、もしかしたら、そう感じない方もいるかもしれません。

なので、こういう考え方もあるのだと、思っていただけたら幸いです。

おしまい。